2011/05/31

南相馬市のゴーヤの苗セット

原発問題の収束は何時になるのでしょうか?
そんな疑問もありながらですが実際に生活している方は沢山おられます。

放射能という見えない不安が広がり国の補償も、情報も当てに出来無くなっていますが
立ち上がって何とか自立をと考えている方もどのくらいの数が居るかは分かりません

ツイッターで知った情報ですが農家の方がゴーヤの苗セットを販売するという記事がありました、実際にこの夏の消費電力を抑えるためにも緑のカーテンが広がればッ少しでも節電が出来るでしょうし、農家の方も収入が得ることが出来るので、夏の暑さ対策と支援ということで目にすることがあれば是非賛同していただきたいと思います。

私は今多賀城市の中でボランティア活動していますが夏に向けて仮設住宅への支援活動も行っていくのですがその時に緑のカーテンで日陰を作る提案はしてみようと思います。
その後も各地域で協力し合う支援団体にも提案し支援とECCになれば良いなと思います。

ドイツでは反原発のデモもあり16万人もの方が集まったそうです、しかし現代のエネルギー消費量は原発に頼っていなければ資源もそこを尽きてしますのが現状だと思います。



『出来ることを少しずつ』支援の輪も広がりつながっていけば大きな支援になると信じています。

2011/05/30

第1回宮城県災害復興支援組織会議開催

災害復興支援組織 代表者様 各位
平成23年5月30日
災害復興支援コーディネーターサークル
代表 西岡 
事務局長 田中 可亮
お問合せ:080-2300-1341
(事務局:田中)

第1回宮城県災害復興支援組織会議開催のご案内

謹啓 惜春の候、程度の差こそあれ被災地域では復興の槌音が聞こえるようになってまいりました。支援組織の皆様におかれましては、今回の東日本大震災での復興支援にご尽力されておりますことを拝聴しております。
 日々の復興支援活動は被災者の方に励みになっていることと存じます。同じく復興支援に携わる者としても皆様の活動には勇気付けられます。
 今後の長期復興支援の必要性は明らかではございますが、その為に効率よく行政・各支援組織が官民連携し、また支援組織間での連絡・協力体制を構築する必要があると考えます。
 そこで今回、僭越ながら第1回宮城県災害復興支援組織会議の開催をご提案させて頂きます。
 ご参加について検討のほどよろしくお願い申し上げます。
謹白


■ 日 時 :2011年6月4日 (水)13:00 15:00
■ 場 所 :多賀城市中央2丁目25番3号
       多賀城市市民活動サポートセンター会議室
■ 出席者 :○ [NPO連携]GANBAROMIYAGI/宮城復興支援センター
       ○ 日本災害復興支援団体 仙台とどけ隊
           ○ 多賀城市市民生活サポートセンター
              国際NGOプラン・ジャパン
仙南支援部隊 チーム王冠
           
<協議事項(予定)>
1.支援物資に関する施策、調達・配布方法
2.被災者と、行政・支援組織との情報伝達網(連絡網)をどのように構築するか
3.各組織における懸念事項、各種取り組みの情報共有
4.今後の会議の開催方法について(Web等の活用)
5.会議内容の共同声明化、配信先について

2011/05/28

本日は館内ボランティアの慰労会でした

避難所が開設してから初の慰労会を行いました
避難所責任者も参加し有意義に過ごすことができました

館内ボランティアは被災者ボランティアでもあるのですが若い世代が率先してボランティア活動をしていかなければ初期の段階では避難所運営は回っていかなかったでしょう

またこの会でで今後の支援のあり方を考えさせられることが多くありました
避難所と在宅被災者の区別と被災度合いの分け

支援をする上で重要な優先順位など様々な問題や感覚を知ることが出来たので良かったです



事務所6月2日に開設します。
車は翌月曜日に軽バン1台支援でつかわせてもらえます。
パソコン3台支援してもらえます。

石巻の現状



石巻の状況は多賀城と比べると瓦礫の撤去なども追いついておらず、信号機は消えている地域がいまだ広い範囲であり、撤去作業や買い物、物資の輸送などで車は多く走っています。
信号の消えた交差点では警察官が手信号で車を誘導していました。(お疲れ様です)

行政による避難者、避難所の現状把握は行き届いていないようでした、それどころか物資の要請をしている避難所にさえも物資を届けないどころかライフラインを止めにやってくる有様だったそうです

石巻へ向かった理由で物資を在宅被災者へ支援している2つの団体のリーダーに顔を合わせ協議するアポイントを取っていたからでした

最初に会った方は在宅被災者であれば被災の度合いは関係なく物資を渡して渡波地区を中心に車で回って支援をしていまいます
人情派の方で男気のある少し不器用なところが魅力的なのですが、たまに悪く言われることもあるそうです。


次に会った方は避難所の開設当初より物資を知人・友人より支援してもらいそれを
近隣の在宅被災者へ持っていっており、陸前高田辺りから東松島辺りまで
要請の在る被災者へ物資を支援する方でした(各地域にリーダーが居て連携をしています)

両者共に行政への支援要請は出していましたが痺れを切らし自分達で活動するようになったと聞きました

在宅被災者の人数はいまだ集計はされておらず行政は集計を取ることは出来ないでしょう

専修大学のグラウンドはキャンプ村になっていますが時間の経過と共にボランティアの人数は減少傾向となっています。


今後の展開として宮城県復興支援組織会議なるものを開催予定しており、このようにご活躍されている方々と連携を取りながら支援を必要な方へ必要な量行き届けることが我々が活動する上で必要になっています。



2011/05/25

一昨昨日

おとといは、久しぶりに仙台へ出ることになりました、仙台駅より徒歩10分程度の辺りです。
仙台に本部を置く団体とリーダーとの打合せをしてきました、その団体は職を持っているメンバーが多く他団体との連絡網も確立されており震災以前より活動しています。

そこで現在の県の倉庫に眠っている物資が8,000t市の倉庫に眠っているのが1,000t避難所で眠っているのが1,000tこの内備蓄にしている物資と動かせていない物資とが殆どです。

しかし現在危惧していることは避難所から出て在宅被災者となった方と避難所に避難していなくて在宅被災者となっているかた、要介護者や生活弱者への行政からのサポートが手薄になってしまっていることです。

このことは私達災害復興支援コーディネーターサークルもその団体も、目指す方向が同じくてもやり方や考え方が違っていたり、各地域で活動されている団体サンも同じように思い各自色々と思案しているようでした。


ここで宮城県災害復興ボランティア会議を提案して来ました

行政では行き届かない部分はボランティアがサポートしなくてはならない事
在宅被災者の緊急性に在る世帯と通常の生活へとちかずいている世帯の実態数の把握、方法
眠っている支援物資を必要としている方へどのような方法で配布できるか
市、県(行政)とのこれからのボランティアとの関係性で動き易く、円滑にやり取りの出来る仕組みの案
問題を共有し、助け合い、情報と活動のノウハウの共有の重要性と必要性
物資、支援の流れとそれに伴う協力体制

事務所の申し込みを済ませ、28日入居審査が決まりました。

2011/05/19

災害復興支援コーディネーターサークル

コーディネーター
避難所運営支援
避難所ボランティア(館内ボランティア)のサポート(コーディネート)
復興支援に関するコーディネート

【コーディネート実績】

自転車無償修理ボランティア
クリーニング車              
アーティスト招致 ペット送迎  

                              
【館内ボランティア】
館内ボランティアデスク
レンタル自転車の運営
情報掲示板の運営
コーヒーサービスの運営
ネット閲覧用PCの運営
配食時の列の整理補助
図書の運営

【学習室】
学習室の管理・運営
児童学習支援
児童学習支援ボランティアの受け入れと管理
【こどもランド】
 遊戯スペースの提供、管理・運営
 子供向け等のイベント企画・運営
【 館内ボランティア全員】
 非常時(余震発生時等)の避難所運営支援

等を現在活動として行ってきました。

今後の活動として多賀城市災害対策本部からの委託を受け、 全国の善意を物資という形で繋ぐ為 被災者の今後の生活において、様々な出費が予想されますが、 可能な限り、インターネットや各種媒体、自治体様のご協力のもと、希望物資の調達という形でご支援させて頂きたいと思います。
このプロジェクトが 生活再建の一助になれば幸いです。

石巻渡波地区

先日の事です、塩釜市で(隣市)活動をしているボランティアの方と打合せというか情報交換をしていました、現在近くの地域で早急な対応の要る地域と不足している物資などまだまだ行政で止まっていて動いていない眠っている物資が沢山あります。


五月三日での 渡波地区での映像です。
http://www.youtube.com/watch?v=o4-bhj4BvQs
震災初期の周辺の被害状況です。
http://nicoviewer.info/sm13858390


以下の文章はチーム王冠さんより転載しています。
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石巻市の公表している避難所数は120箇所。(約1週間前調べ)
避難者数16000人。
この数字に含まれていないのは自宅難民だけではない。
異邦人と呼ばれる移動難民、市外退去者、そして私設避難所生活者。
石巻市渡波地区で、被災直後、あふれかえる避難民。
避難所から追い出された人は、自宅以外の場所にも避難している。
同じく被災した建物の一角に身を寄せ合った集団もいる。
JAの建物もそのひとつ。
そろそろ、営業再開に向けて準備したいというJA側の要望で、
行く当ても無く退去しなければならない日が、今日、5月5日。
彼らは、自分たちでルールを決めて、JAの電気設備、水道設備など一切使わず、
夜はローソクで灯りをとり、水は給水車から得て生活していた。
学校が始まるという理由でどんどん避難所を追われる人たち。
仮設住宅が建ったわけでもなく、赤十字からの見舞金が入ったわけでもなく、ただただ、瓦礫の中に追いやられるのだ。
主要道路の通行は可能だ。しかし、一歩わき道に入れば、崩壊した家屋に道をふさがれている道路がいまだに存在し、
冠水してふつうの長靴では歩くこともままならない海の街に住まなくてはならない。
もちろん、そうでない場所もある。
電気、水道が使える家もある。
しかし、都市ガス網の中にいる家で、プロパンガスに切り替えるには50万円の出費をしなくてはならない。
これは、震災直後の話ではない。約2ヶ月たった、今日、今の現実だ。
現在、チーム王冠で、渡波地区に7つのグループを作った。
この倍は急いで作りたい。
すでに220名のグループを作り、自衛隊の炊き出しを受けているエリアがあった。
だが、住民が管理するには人数が多すぎて、スタッフは疲れきっていた。
350人を擁する区長は、俺の地区民は俺が守るといきまくが、
行政が機能しない地区の区長のよりどころは行政しかないのではないのか?
別にでっかい団体を紹介してあげてもいいんだけど、、、。
7つのグループには基本物資、水と食料は大量投下した。
それで歓喜し、感謝する様子を見れば、いかに困っていたのかが伺える。
都会に住む人が、緑に囲まれた平和な街に住む人が、水と食料をもらって、涙ぐみ握手を求めたりするだろうか?
宮城復興支援センターでチーム王冠に対する物資支援の約束してくれた。
弱小ボランティアチームには嬉しい限りだ。
GREEコミュ、王冠サポーターズ、そしてGREEメンバーの有志がチーム王冠の活動を支えている。
被災者の笑顔と涙は、みんなの気持ちが生み出している。
「ふんばろう東日本」から仙台市の物資支援の話が来たが、それを受け入れる倉庫が無い。
数日前から倉庫を探しているが、無名の個人ボランティアに対する扱いはとても冷たい。
近隣の○○市の議員が、コンテナ倉庫を所有する議員仲間を紹介してくれた。
議員A「被災地のためになるなら、どんなことでもする。君はどこの団体だ。」
王冠「個人です。個人のボランティアです。被災直後から活動して団体には所属してません。」
どんなことでもすると言った言葉をまさか飲み込みはしないだろう。
約1分間、じーっと俺の名刺を眺めて、
議員A「ここは、共同経営だから、時間をくれ。」
数時間後、貸せないと断りの電話がきた。
被災地のためにならないと判断されたようだ。
また、無駄な時間を過ごしてしまった。
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このようにいまだに物資の行き届いていない地域があります、困っている人も沢山居ます。
単純な話で物が無くて困っている地域があり、被災も無く物資も余っており倉庫に眠っているだけの地域があり、その物資を移動するだけの事が何日かかっているんでしょう、とにかく食べ物や飲み物がない状態というのは早急に解消しなくてはいけないのに、やれ手続がどうとかよりも先に動かせないものなんでしょうか、意味が分かりません。
行政には下からも出来るだけ多くのボトムアップを働きかけまた行政のなかにも話の早い人を見つけていき現状を改善を目指します。
また災害復興支援コーディネートサークルで繋がった全国からの炊き出しや物資を必要に応じて紹介しを本日より開始します。

ボタン・みどり・若葉

バタバタしていたのが落ち着き、ふと日常生活している場所を眺めてみました。
花や緑、鳥や風の音を感じました。





一旦休憩をしに多賀城跡まで足を伸ばしてみました、花や木がしっかりと育ち、空は青くて風が心地よく感じることが出来ました。

たまには休憩も必要です。

2011/05/16

いまだ物資不足の地域はあります

一部テレビなどで報道されている『被災地へは物資が行き届いている』というコメントを聞いているかたも沢山居ることでしょう。

確かに物資は被災地へと到着していますが本当に必要としている個人の手元にはとどいけいないことが現状です。

行政は被災者へ平等への配布を考え避難所などに皆に行き届くように配布しているのですが、現実問題その配布場にいけなかったり避難所として認定されていない場所には物資は行き届いていません、現在災害復興支援サークルではそのように物資の行き届いていない場所などのニーズの吸い上げるとともに現在確認されている多賀城市の避難所での物資ニーズの調査をしボランティア団体、行政と共に整備していくこととなりました。

また今後は仮設住宅への支援の形も現在着々と進んでいます。

長期的に活動をする事になりますので支援をしていただいている方にもこれから支援してくださる方にも、支援していただいたものが、どのように役立っているか分かりやすくWEB上で確認できるように整備していきます。

多賀城し復興ミニサッカー大会

11.05.09 15:30受付(大宮アルディージャ)あり

5/15(日)に炊き出し(やきとり、サラダ、ローストビーフ等)に来る
大宮アルディージャFCのサポーターが 子供とのふれあいを希望
(炊き出しは専門の方が実施するので、残りのサポーターメンバーでの活動)

地元ということで 先方要望としては ソニー仙台FCや ベガルタ仙台FC との絡みも希望 一緒に子供と遊べないか、との事 大宮アルディージャサポーター側から、こちらからソニー仙台に連絡して
アルディージャ側に連絡させてほしいとの事

■炊き出しとは別物と考える
■ソニー仙台に連絡してアルディージャ側へ連絡して頂く
■ソニー仙台にベガルタのパイプあるか確認
■ソニー仙台にベガルタへのパイプなければ、こちらで対応
■東北学院大学のグラウンドを借りて何かできないか企画
■コーディネートする場合、こどもランド園長からの依頼で動き、関係者にはその旨を説明して頂く

学院大学へグラウンドの使用確認を取る
各選手・サポーターへの人数を確認
イベント概要・内容の調整
同時開催の配布会内容打合せ
子供達へのお知らせ(チラシ・多賀城市のジュニアクラブチーム)
ボランティアスタッフの当日の役割打合せ
交通誘導のプラカード造り
備品・配布品の確保

時間のないなかで各団体と連絡を取り合いボランティアとのミーティングもしっかり出来ない中での開催となりましたがギリギリで間に合い開催となりました。
子供たちも予想以上に集まり震災後公の施設で大人数で出来る場所がなく子供たちも市内の小学正が140名も集まり。大宮から来られたサポーターや日本サッカー協会の方地、元仙台のサポーター、選手も集まり大いに盛り上がり楽しい一時となりました。






                                                  

ソニー仙台FCと東北学院大学

5月15日に東北学院大学多賀城キャンパスのグラウンドを借りて復興ミニサッカーをする事になりました。

ことの始まりは大宮アルディージャのサポーターを引き連れ文化センターで炊き出しをしたいという一本の電話からはじまりました。

炊き出しの準備が終わってからこどもたちと遊びたいとサポーターの方々から仰って頂きせっかく多賀城へ来るのだからソニー仙台のサポーターも呼べればより多くの子供たちが遊べるのではと思いましたが、今度はスペースが無かったので、隣接する東北学院大学のグランドを借りれないかと、復興こどっ祭りや肩もみボランティアに協力して貰っている学院に在る災害ボランティアステーションへ連絡を取りグランド使用許可をもらいました。

そこで次にせっかくサッカーをやるのだから多賀城市に本拠地の在るソニー仙台FCさんへ協力の話を持ちかけてみたところ快くOKをもらうことが出来ミニサッカーを行うことが出来ることとなりました。

そこで市内に在る小学校への要請の調整もつき明日から2日間で細かな調整をかけていくこととなりました。

5月15日は晴れの予報なのでこども達にグラウンドを元気に走り回って貰いたいと思います。

2011/05/11

後方支援をして頂いている人たちへ

すでに震災から2ヶ月が過ぎてしまいました。
5月11日14:49避難所では被災者と一緒にの1分間の黙祷をしました。


気仙沼では「前に進むのはまだ先だと決めたんだ。百日までは、亡くなった人達と生きようと思ったんだ。周りが呆れるほど、狂ったようにガラス玉と大漁旗を探し回った。祈れる場所、人目をはばからずに泣ける場所を造らなければと・・」慰霊祭を行おうとしています。

2ヶ月という時間の中でどれだけの人が支援し被災地を被災者を思ったのでしょうか?
これまで考えなかったことを考えたでしょうか?

被災地は日々復興へ向かって進んでいると思います、いまだに交通手段が限られた地域も多く残っていますがそのような場所も、進捗状態はユックリですが復興に向かって歩んでいます。

被災者はこれから仮設住宅や2次避難場所、県や市の借り上げたアパートやマンションへと移って行くのですがサポートも減っていきます。

ただ避難所が解消されても行政からボランティアから近所に住む人達からの支援やサポートは受けていかなくてはいけませんのでこれからも、震災直後にTVで見た映像や受けたショックは忘れないで欲しいと思います。


これからも先まだまだ時間は掛かります、今出来なくても明日出来なくても、1ヶ月先、半年先には出来ることが見つかるかもしれません。

これからもみんなで『出来ることを少しずつ』復興に向けて歩んでいきましょう。


P.S
ビタミン剤などの物資は集めていただいた気持ちと一緒に有効に使わせて貰います。
またお忙しい中活動のサポートをしてくれている方々へ、ありがとうございます。


避難所館内ボランティア連絡網?

宮城県避難所数:491件宮城県避難者数:68,687人掲載情報は2011年05月09日の宮城県発表のデー
福島県避難所数:150件 福島県避難者数:8,987人 掲載情報は2011年05月09日の福島県発表のデータ
岩手県避難所数:653件 岩手県避難者数:41,728人 掲載情報は2011年04月22日の岩手県発表のデータ 
茨城県避難所数:15件茨城県避難者数:158人 掲載情報は2011年05月09日の茨城県発表のデータ


これだけの避難所と避難者が広範囲の被災地で生活しています。
これを支える行政もボランティアも多くの人が広い地域でそれぞれのコミュニティーで活動しているのですが
もっと連絡を密に取っていければよりスムーズに人、物、金が動きより活動が行いやすくなることは間違いないと思います。


そこで考えたのはますは避難所での館内ボランティアの組織を明確にすること。
ブログ、HP、ツイッターなどを使い問題・行われている活動・物資の余剰・支援団体等の情報の共有。
避難所館内ボランティア間での連絡網の構築。
協力出来ることを協力し合う。


復興はあくまで被災した地域の地元の方々が行うものですが避難所がなくなってからの行政のサポートが無くなる事
ボランティアの活動の収縮や活動の終了など、連携を取っていれば今後出てくる危惧する内容を回避することも出来ると思う。


避難所運営と肩もみボランティアの総合体育館へのコーディネート、イベントの企画・調整、避難所・長期ボランティア・現地活動している団体への連絡。











2011/05/07

肩もみボランティア

本日の自転車修理ボランティアは3時で終了しました、なぜかと言うと
東北学院大学のボランティアステーションから肩もみボランティアへ参加する学生への研修があるからです。

職員1名、学生3名で来られ概要説明、マッサージのコツ、注意点と実地研修を2時間行い、その後研修生に、見学して貰うためでした。

多賀城市内避難所の周辺は日常を取り戻しており普通に生活をされている方もおおくいらっしゃり、その環境の中で避難所があるのですが、避難所の外に出かけたときなどに周りの様子がよく分かります。

そうすると避難所内での生活でプライベートの確保も難しく食事も配給に頼らざる方達にしてみれば、出遅れた感から焦燥感が出てきます。
そこで地元の有志者による肩もみを通じて会話などのコミュニケーションでメンタルケアをして行こうと行っている活動です。

コツは始めてマッサージをするものも居るので基本的なことを書面を使い説明をして行い。
注意点はマッサージをしてはいけない具体例や、高血圧や血管の病気があるかの有無を聞く理由やハラスメント、衛生面の周知をすることでした。

その後実地研修を行い研修は2時間で終了しました。

18:00より2時間半避難所のスペースを使い肩もみを実際行っている所を見学&実際にやってみる。

研修中と見学の始めは緊張気味だったのですが肩もみ隊代表と私が避難者さんへ笑い話なども交え話をしながら行っているのをみて貰い緊張が緩んだ辺りで交代をして実際に行ってもらいました。

2名から3名終わった辺りから緊張がほぐれ良い雰囲気で活動を行っていました、時間はあっと言う間に終わり次回の活動時間を確認、本日の活動の感想を聞いて終了しました。
21:00





5月5日多賀城市文化センター復興こども祭り

11:00 ~ 16:00 (搬入・設営  9:00 ~ 11:00) (撤去・搬出 16:00 ~ 18:00)

■イベントの主旨

 H23年3月11日に発生した東日本大震災により、 災害時指定避難場所として現在も避難所機能を提供している、 多賀城市文化センターにおいて、 児童に限らず、避難・被災生活の心労を一時でも和らげ、 今後の復興に向けた節目として、 子供達向けの内容を中心とした、明るく楽しいイベントを提供する。 また、 対外情報発信として、被災地を案じている方達へ、 健在であることを知って頂き、 同時に、継続した長期的支援が必要であることを訴えるものとする。

■イベントの概要

自衛隊第22普通化連隊の炊き出し カレー1000食
http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/6d/kakusta/tagajo/butai/22ihp/index.htm

NPO難民を助ける会とピースプロジェクトの炊き出し 焼きそば1000食
http://www.aarjapan.gr.jp/
http://www.peace-project.net/

(財)おもちゃ図書館さんの ポップコーン600食
http://www.toylib.or.jp/index.html
地元有志者 わたあめ800食
ボランティア団体、多賀城市文化センター ドリンク800本
多賀城市 ウーロン茶900本
のコーナーを設置(無料)  

 ・ステージ
ジェラルドミューヘッド氏によるバグパイプ演奏
http://bagpipeworld.main.jp/profile/japanese.html

サリーガーデンズによる歌と朗読劇のボイスパフォーマンス
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/happyhappypockets

コミュ音ザ・ビッグバンドによるバンドライブ
http://web.mac.com/commuon/Comt/home.html

イアンザマジシャンによるマジックショー

マイピアノによるギターとカホンのライブ
http://mypiano.nobody.jp/home.html

シンガーソングライター阿部桃子さんのソロライブ
(実は宮城県空手道選手権で上位常連さんです)

ソニードデルビエントによる電子ピアノとケーナ・アイリッシュホイッスルのライブ
http://www17.plala.or.jp/sonidel/framepage6.htm

ザクルーナーズ(聖歌隊)による合唱

自衛隊第6音楽隊による演奏
http://www.mod.go.jp/gsdf/central/aboutus_band.html
  

多賀城市埋蔵文化財調査センターによる勾玉作り
自遊創意クラブのペーパークラフト、手芸
アトリエぷるぷるのオリジナルタグワークショップ
http://cocopuru.exblog.jp/

文化センター内のこどもランドスタッフ手作りによる射的コーナー
SONY仙台によるキックターゲット等遊戯コーナー
http://www.sonysendaifc.com/
東京有志者による輪投げコーナー

NPO大阪城甲冑隊からの甲冑を借受、こどもの日にちなんで鎧姿での写真撮影
http://www.osakajo.net/

㈱コトブキさんより遊具の借受、野外こどもランドへ設置
http://www.kotobuki.co.jp/


巡回バスの運行 多賀城市文化センター(避難所:イベント会場) 総合体育館(避難所)、 多賀城中学校(同日開催の プラン・ジャパン こどもの日フェスティバル会場) 多賀城駅(JR 仙石線) を結ぶマイクロバスを運行する。

■実行委員会について 文化センターの館内において避難所運営支援ボランティアとして活動している、 文化センター避難者、在宅被災者、近隣学生、県外ボランティアで構成された組織 通常は、情報掲示板、レンタル自転車、閲覧用PC、学習室、こどもランド等の運営・管理を 行なっており、避難所機能の一部を支援しているボランティアです。

実行委員長 : 高橋直也   (東北学院大学工学部)
一般ブース担当 : 渡辺和郎   (文化センター避難者)
ステージ・出店部門 : 西岡正   (県外ボランティア<東京>)
清掃部門 : 大坂昌輝   (文化センター避難者)
警備部門 : 小野寺紳也   (文化センター避難者 東北学院大学工学部)
管理・広報部門 : 田中可亮   (県外ボランティア<大阪>)





2011/05/02

LOVE Tagajyo

先週4月24日に多賀城駅前で地元の有志者によるチャリティーイベントが開催されました。
収益金は全て多賀城市の防災対策本部へ寄付をされ復興に役立てられることとなるでしょう。





こんな感じでした。。

行政とは避難所とは

震災からもうまもなく2ヶ月が経過しようとしています。
行政とは、避難所とは何なんでしょうね?

多賀城市の避難所は3箇所に集約されています、そのうちの一つは80人をきり他2箇所で900名が生活しています。

宮崎県の避難所の栄養摂取量は阪神のときよりも少なく最近はビタミンの配給も増えてきましたが未だに炭水化物の割合が多くビタミン、たんぱく質の不足は危惧する課題となっています。(県もこの現状は把握しているので改善はしています)

一日の配給は一人当たり¥1010となっており阪神の¥1200よりも少ないのが現状ですし、この中に輸送費なども含まれているので、多賀城市よりも陸路が遠く輸送費が多く掛かる避難所は多くあります。

また避難所内でのモラルの低下は日を追うごとに目に付き始めています、子供は大人に怒られることが少なく悪い言い方ではナメテ掛かってます。(現在子供ランド運営では叱る事も必要であることは認識して貰っています)
大人も不満が溜まってきているのでしょうが人の陰口などや子供に見えるところでモラルの無い行動などもが増えてきて居ます。


館内には文化センターの職員、施設管理の民間の会社、設備管理の民間の会社、警備会社がはいっており他見からの応援の職員が5日交代で入れ替わって派遣されています、また避難者は震災当初の物が無い、電気・水道が使えない時期から比べると要求が増え贅沢になってきています。(宮城県ではいまだに食料の少ない地域や水道の通っていない地域もあります)
そこに館内ボランティアがおり避難所運営のいろいろなサポートをしています。

災害ボランティアセンターでは基本はボランティアの方には瓦礫の撤去や清掃ボランティアとしてしかニーズをマッチングすることが無く他に必要な場所へ派遣することは殆どありません、それは被災者が何を求めているのか調査し切れてないからです(日々求められるものは変わります)
というより早く日常の業務に戻ろうと見ないようにしているとしか思えません。

これは多賀城市にかぎってのことではないでしょう、また被害の大きな地区では官も民も関係なく協力し合って日々出来ることをやっている地域もあることは実際目に見しています。

行政の考えて貰いたいことはやはり被災者の事であり、復興に向けた政策と救済を第一に考えて行動して欲しいと思います。
官がどのように行動しているのかは全て見ているわけではないのですが見える範囲では、自分では責任を持ちたくなく自ら行動せず、余計なことはしないという人が多いように思います。


避難所とは最低限の生活に必要なものを提供して被災者が自身で行動を起こすまでの止まり木でしかないのでしょうね。