2011/07/12

話をするむずかしさ

7月6日19:00多賀城市文化センターにて避難所集約化説明会が行われました。
内容は下記のとおりです。

1・・・【説明会の対象者】
文化センターへ避難している被災者の方々の内、プレハブ仮設住宅へ入居しない方々。

2・・・【説明の内容】
文化センター避難所を閉鎖し体育館避難所へ集約することについてです。

3・・・【避難所集約の目的】
①避難所環境の最適化
②避難所運営の効率化
③文化センター災害復旧工事(被害調査→設備→工事)の実施

4・・・集約化スケジュール

7月6日    説明会
~7月11日 総合体育館へ移動希望の申し出(事務室へ)
7月18日  体育館へ移動する方の体育館の場所・スペースのお知らせ
7月19日  自力移動可能な方から体育館への移動開始(移動するときは文化センター事務室に声をかけてください)
7月23日  トラック、バスによる一斉移動(荷物の積み下ろし、搬送は市が行いますので荷造り、荷ほどきは各自でお願いします。)
文化センター避難所の閉鎖


避難者への説明会は避難されている方の多くが参加されていました、日程の説明から始まり体育館への統合を理解してもらいたいと説明があり、その後に避難者への質問となりました。

避難者さんの多くはなぜ移らなければならないのか疑問にもたれている方が多くいらしゃいました、『今避難している文化センターのほうが空調も効いていて住みなれているから移りたくない』などの声や『これは決定なんですか』、『移ってすぐにまた引越しになったりするならここに引っ越せるようになるまでいてもいいだろ』などと質問と要望がありました。

それに対して市役所の職員はできる限りの要望を聞き市長と協議したうえで最終的なご案内をしますと避難者の声を聞き取り説明を行っていました。

この日は聞き取りと説明、そして多賀城市としての避難所集約の説明は終わりました、次回7月8日は市長に来館してもらい集約に対しての説明、今後の多賀城市の方向性を説明するとのこととなりました。

7月8日前回から引き続き総合体育館への避難所集約および復興計画の説明会が行われました。

市長のあいさつ挨拶があり、今後の多賀城市における、復興計画の流れと方向性、10年計画を考えて復興計画を作っており、防災対策として津波除けの植林を2重に作り、防災無線の設置個所を3倍以上設置することが決定しました。
歴史の都「多賀城」でもあり今回の震災を忘れないためにも今後の多賀城の発展も考え津波ミュージアムの建設を考えているそうです。
また今回の震災で被災された方々の今後の生活のため被災住宅の建設を考えているそうです。
一通り話がおわり質問タイムとなり被災者の方々から『そんな先の話じゃないんだ今、明日どうしたらよいのか』『一時金が下りたといっても箸から揃えたら、もうお金ないよ』『自宅で商売していた人たちはどうやって再建していけばいいの』など様々な声が上がってきていました。

内容はともかく私は思いました、行政と被災して避難所で生活をしている方々とでは話し合いたい部分が違うのだなと、『これから先の町造りや大きな方向性』と『今日明日という今どうにかしないといけない、そして先の生活への不安』

誰の意見も間違いではないし、大切なことだと感じましたが人対人の話としては成立していなかったように思います、被災している人も、これから復興に向けて政策を考えていく人も間違いなく人間です、政策を考える行政と自立再建を考える市民とそれぞれ考えることは違ってもよいと思います、ただ両者ともこのような場が持てるのですから相手の置かれている状況を加味してそして人対人の話であることを前提に、そして行政は今回被災している方は弱っている事をくみ取って行くことが必要なのではないかなと感じました。

2 件のコメント:

河井計実 さんのコメント...

その隙間を埋めるのがあなた方のお役目なのかも知れませんね。

がんばって!

蓮笑_Rensyo_ さんのコメント...

コメント有り難うございます。
僕たちは出きる事しかできませんけど、出来ることはやっていこうと思います。

応援よろしくお願いします。