2011/06/27

支援物資到着から物資の引き渡しまで

多賀城市文化センターへ支援物資が到着しました。
それを待ち構えていたかのように応援職員として奈良市より派遣されてきている職員さんたちが物資の運びこみを手伝っていただいている画像です。
雨が上がったばかりで蒸し暑くテントの中にずっといるとまるでサウナにいるような気分になります。






遠くから応援に来ていただいてありがとうございます。



遠くからというとまた支援者が物資を届けに来ていただきました。
東京のゲームソフト会社なのですが3DSを被災地の子供たちに送りたいというメールから始まりました。
そこで提案をさせてもらいました、子供たちは3DSを受け取ったあと喜ぶと思います、それはゲームを受け取りそれで遊ぶことが出来るというところでの喜びです。
遠い場所で自分達の為に何かしてあげたいと思う人の気持ちを伝えれる方法があれば一緒にその気持ちを渡したいと。
もしくは子供たちが後に(1ヶ月後、1年後)3DSで通信できてその思いを知ることが出来る仕組みとかは無いですかと?
今はまだ物資は行き届いていませんが支援組織と後方支援組織、物資の調達から配布までの仕組みは色々出来上がっています、必要とするところへ必要な物が行き届くのはそこまで時間は掛かりません。
しかしメンタルケアに関してはそれよりも時間が掛かるでしょうし、メンタルケアが必要な本人でさえなかなか気付くことが出来ないでしょう。
早いうちに何かしら人の心に振れることが今後のためになると思います、ので何かいい案があれば教えてください。
という具合の提案のメールをした次の日に東京の町田市の小学校からCDと手紙が届きました、そのCDには合唱団の演奏が入っており4曲目にメッセージが入っており小学校5,6年生の子達の合唱で3DSを渡す子供たちと年齢的にも近いと思い

担当の先生に『遠い場所で自分達の為に何かしてあげたいと思う人の気持ちを伝えれる方法があれば一緒にその気持ちを渡したい』と伝えたところ同じ気持ちですということだったのですとの返答でした。
そして東京から支援の話をし、一緒に子供たちに渡したい旨を伝えたところ快諾して貰いました。








新品3DSが40台・DSi(中古)が4台・ゲームソフト数十本(中古)・ライト付きキャラクターキーホルダー40個。
子供達へのメッセージは、3DSに付属しているSDカードにボイスメッセージを録音したもの。
これに合唱団のCDを一緒に渡して想いも伝わってくれればと思います。

『出来ることを少しずつ』

支援物資引き渡しの風景です、初めて希望物資調査を行った際には本当に物資は届くのかと思っていた方も多くいらっしゃいました。



 受け渡しは取りに来てもらえるときは取りに来てもらって、取りに来れない方には日を改めて配送対応しています。

2011/06/25

希望物資調達プロジェクト

多賀城市の物資調達プロジェクトの進捗情報です。
女性物下着やペットボトル飲料水、自転車、生活雑貨、電化製品、食糧など多くの支援を頂いておりまして順調に物資を引き当てることが出来ています。






テントを3張り文化センター駐車場に設置し、行政の滞留していた支援物資、個人や企業からの支援物資、連携支援団体からの輸送支援、情報共有など大変多くの支援者がこの災害復興に携わっています。

ニーズの調査は初めに資料を配り説明をします。
用紙に希望物資を書いてもらいそこで不備の記載があった時に(サイズや種類)
再度訪問し内容を伺ってます。


物資以外にも届けたいものが在ります、それは『支援者の想い』です。。

2011/06/24

奈良からの贈り物

3月11日奈良にいました、地震のあと近くにおられた私より年配のおばあさんが「津波に気を付けないと」と話になり奈良には海がないので津波?と思っていましたが、家に着きTVを見て想像の限界を超えるほどの映像が目に入ってきました。
そのとき四夏をかけて東北を旅をして回り、東北の特有の優しさに触れた出来事を思い出していました。
いく日が過ぎ関西に住む私達は普通に暮らしておるのに、TVではライフラインも復旧しておらず自衛隊もボランティアも来ていない状態が続いており谷川の湧水をバケツで汲みにいくお婆さんが映っていました。
その時、お風呂、台所で水や洗剤が少しで済む「エコたわし」を思い出したのですが、つまらないものだからやめようかなとも考えたのですが、何かしたい遠くにいても何かできることをしたいという思いからエコたわしを編み始めました。
「何編んではるの?」と訪ねてくる方に自分の思いを話しました、すると「私も何か」と始まりました。
奈良県香芝市にある介護老人ホームのデイサービス利用のお爺さん、お婆さん、またその施設で働く職員さんが折鶴を折り、同市内の幼稚園園児による絵手紙、三重県の保育所に通う3~4歳の幼児による絵手紙を書きました。

遠く離れていても私たちはそばに寄り添っています。





上記内容は実際の手紙の抜粋となりますが遠くで暮らし何かできることはないかと始めたことが、同じ思いの方と出会い支援の輪は広がり、お年寄りの方が幼児に「いつ、だれが、どこで、どんな」災難に出会うかわからない、災難に遭遇しても生きていかなければならない事を伝え出来る支援をすることの大切さを伝えているのがよくわかりました。

奈良新聞の記事です。
http://www.nara-np.co.jp/20110623134025.html

そしてこの支援物資を送る方がどのような想いでエコたわしを編み、絵手紙を書いたのかその想いを受け取った方へ少しでも伝えることは支援を繋ぐものの使命だと再度認識しました。

2011/06/21

石巻市で活動する団体からの支援要請

日に日に復興に向けて進んでいることは間違いないとは思いますが、まだ震災より
3ヶ月と少ししか過ぎてはいませんので支援の行き届いていない部分を目にすることもあろうかと思います。

早速ですが、現在私どもは災害復興支援組織としまして被災地支援の活動に当たらせてもらっているのですが
連携しております団体よりチーム王冠支援要請がありましたので掲載しました。



以下概要と目的です、ご一読お願いいたします。

6月21日現在、石巻市内の小学校、中学校での給食の実態です。
3月10日の給食です
 震災後の給食ですこのように量が少なく栄養が偏っているのです






石巻市の小学生8711名、中学生4604名
http://www.mediaship.ne.jp/~jhsoshi/
現在3チームが炊き出しを行っておりますが350人程度をまかなうことしか出来ておりません。
8月にはレトルトに変わり調理したおかずが1品加わる予定ではあります。
避難所より学校へ通う児童は栄養不足となっていることは間違いありません。

支援していただきたい具体的な内容
・炊き出しを行える支援団体のご紹介
・炊き出しボランティアを行える方のご紹介
・行政への仕出し弁当への切り替えを提言していただける方への顔つなぎ
・これらの活動の支援金を提供していただける方のご紹介
・また代替の解決策の提案
などどんなことでも良いのでご協力願えると幸いです。

連携会議を経て

宮城県災害復興支援組織での連携会議を行った。
第一回目だったが色々と意見が聞け良い連携の形が出来そうである。

県、市、避難所にある物資を要請することで動かすことが出来るようになり、市町村関係なく必要なところに必要な数を渡すことが出来るようになった。

また長期ボランティアの受け入れをするための宿泊場所も行政との連携でッく保することが出来そうである。
そうすることで在宅被災者のニーズを調査することが出来るようになるので行政としても支援する側も支援受ける側も今より早く動くことが出来る。

13日の会議以降滞留していた物資は流れ始め、情報の共有も出来、支援を行いやすくなってきた。


石巻市の小学生8711名、中学生4604名は栄養が足りません。  炊き出しを学校で子供達に栄養を、もしくは弁当を食べさせたい。 避難所から通う生徒は本当に栄養が足りていません。



そこで現在石巻での給食の実態を聞き関係各所へ要請を出すことにした。

また在宅被災者のニーズの吸い上げにはスマートフォンのGPS機能を使うことで正確に情報が集まりまとめ易くなるので30台を3日間ケータイメーカーへ交渉する事にした。

また石巻で炊き出しを1ヶ月間週に1から2回行える出来る団体を広く募集します。

2011/06/13

3ヶ月を越え改めて考えること

6月11日を迎え避難所文化センターでは14:46に避難者、職員、ボランティアが集まり黙祷を皆で行いました、5月11日の黙祷のときとは違い今回は14:00よりイベントが入っていました。
避難所生活も3ヶ月を過ぎて避難所生活で出会い、談笑し合い笑顔が多く見られるようになって来ました。

今回のイベントはサックスの演奏でした。

演奏を一旦止め14:46に皆で1分間の黙祷を行ったのですがその後演奏が再開され観客の被災者はアーティスト避難所で、ひとときの音楽演奏を聞き入り拍手をしでこたえていました。
この時には少し違和感を感じたのですが、何に違和感を感じたのかさえ分かりませんでした。

6月12日に支援をくださっている団体からDVDが届きました、5月の連休を使い大阪より2tトラック一杯に玩具、お菓子などの支援物資を積めるだけ積んで避難所を回っていた団体です、その後も後方支援を受けていました。

DVDの内容は震災時のライブニュースから始まり被災地の状況、避難所の様子が克明にしるされていました、そこで黙祷の後で感じた違和感の正体がわかりました。

被災直後のようすは混乱と、喪失感、不安などが入り混じっており、辺りは瓦礫が山になって何から手をつけて良いか、何を考えどう行動してよいか分からない状態でした。

それが被災地で避難生活をしている方たちも多くの人が3月11日の記憶は昔の気をくとなっているように感じました、これは考えが前向きになっている証拠だと思いますし、復興に向けて必要だと思いますし、良いことだとは思うのですが、ここに違和感を感じたのも事実です。

人間よく出来たもので悪い記憶のほうが忘れるのは早いと聞いています、もちろん完全に忘れることは出来ないことだとは思っていますが、支援活動で入っている人や後方支援の方達には現地に入った当初、支援しようと考えた当初の気持ちも今一度思い返してみてえたらと思います。

私は今日DVDをみて改めて現地へ来た当初の気持ち、想いがよみがえってきましたし想いは変わらず『出来ることを少しずつ』という気持ちが、『やらなきゃいけない』『急がなきゃ』にかわっていたようです。

考え方は賛否両論でしょうが私は『出来ることを少しずつ』で継続的な活動を行っていくことを改めて考えさせられました。

被災地で避難所で寝泊りしているのに記憶が薄れ、行動が変わってしまうのに、TVでの露出も減り身近にいない人はどの位当時の想いがよみがえってくるのでしょうか?

前にもこのブログで言っているように、支援活動は始まったばかりです、継続的な支援は今後も必要となってきます、メディアでの露出も然り、政権がどうだこうだの前に、被災地に今より目を向けて貰いたい、継続的に記憶が風化してしまわぬように発信していきたいという思いも改めて感じた今日この頃でした。

2011/06/10

思いの伝え方も色々




きょう避難所に届いたメッセージ入りのCDからの一曲です。
これは東京都町田市立木曽境川小学校の合唱団によって届けられま
した。

支援の輪と協力

支援物資調達を行っていますが、まずは仕組みづくりからはじました。
その後避難所で避難されている被災者のこれからの生活再建を後押しするための支援であることの周知と資料の配布から、質問の受付を経て公方物資調査票の提出をしてもらいました。

避難所生活で生活再建の想像をすることも難しい方にも、避難所を出てからの必要な物や仮設に移るのか借り上げ住宅へ入るのか又は家の修繕をしてすみなれた自宅に戻るのか、戻るとしたら何があれば生活しやすいか、なにが必要かを考えていただくことで、今まで下を見ていた方にも前を向いてもらおうと行っているのもこの活動の一つの意味です。

しかし他にも意味があります

現在行政での配布が出来ておらず滞留している物資を必要としている被災者へ必要な数量を届けるためでもあります、そうして滞留していた物資も動きそれ以外は全国の善意による支援で集まった想いを届けたいとも思います。

本来一番支援を必要としている在宅被災者への支援が一番最後になってしまいまっていますが、これも必要な物を必要な数量届けるためには、在宅被災者の被災度合いと現状の生活水準の把握は必要だと思っています。
こればかりは人海戦術で行うのが一番だと思っていますが何せ主に活動している人数が3名というマンパワーを必要とするこの在宅被災者の調査が思うように、だんどる事ができなかったのです。

しかし物資と想いと人が動き始めました、復興支援組織会議なるもので各地で活動する団体との連携や夏休みに入り活動を始める学生ボランティアのベースキャンプのような場所も確保していき、ローラー作戦でニーズの吸い上げから物資の配布までを行っていきます。

2011/06/09

多賀城市総合体育館への学習支援ボランティアのコーディネート

◯活動理念

学習活動を通して震災後の子ども達の日常生活の質の向上を図る

◯活動目的

・子ども達への心理的な安定を目指す
・子どもに毎日の予定をつくることで生活リズムをつくる
・保護者や学校の負担の軽減を目指す

◯活動内容
・主に学校の授業の予習復習、宿題のお手伝い、受験勉強のお手伝いをいたします。
・週に2回、4時間程度を目安にボランティアが訪問いたします。
・ボランティア人数は5人程度で、ボランティア1人につき子ども1人ないし2人を指導という形式を考えています。ボランティア人数は、何回か活動してみて、子どもの人数に合わせて増減させるつもりです。
・教材や筆記用具は、こちらである程度準備し、手ぶらで学習室に来ても対応いたします。ただ、手ぶらで学習室に来る場合、教材の数や内容、揃い具合によって、希望通りの学習ができないことがあります。

◯活動団体
ALL東北教育フェスタ」
2009年12月12日に設立。 教員志望の学生や教育に関心のある学生を対象に様々なイベントを企画している学生団体です。今回の震災にあたり、教員志望の学生に何か出来ることはないか考え、本活動を行っております。




多賀城市内には避難所が3箇所ありその内の1つ
多賀城市文化センターでの自習室で週に2回学習支援活動して頂いている学生支援団体を
多賀城市総合体育館でも行えないかと双方に打診

本日正式に提案をする事になりましたが、避難所運営を民間のNPO団体が運営しており、下記プロセスで調整がつきました。

災害ボランティアセンターでの登録後→団体からの支援の申し出→災害ボランティアセンターから避難所への連絡→避難所からの災害ボランティアセンターへ支援要請→団体が避難所へ派遣という形での受け入れ。


2011/06/08

ボランティアリピーター

きょうは多賀城市文化センターで行っている自転車ボランティアの師匠が埼玉よりやってきました。
3月28日~4月23日までここ文化センターでボランティアをしに来られ、そこで出会い、自転車修理を教えて貰い工具を貰い受けたのです。

今回はその師匠はお茶もたしなまれていることもあり避難所でのメンタルケアを考慮してお茶カウンセリングをメインに活動する予定として多賀城入りしました。

復興支援会議の調整も大体整い会議室を押さえ参加組織への連絡をし
ボランティアベースキャンプの用地が無いかあちらこちらに連絡をし、すでにボランティアビレッジというものを立ち上げて運営している団体がいることを聞き、連絡をとることにしました。

あすは多賀城市の総合体育館(避難所)へ学習支援の調整に行ってきます。

2011/06/04

被災地では多くの有志者の支援は必要です

多賀城市総合体育館へ希望物資調達の説明に伺いました。

総合体育館は避難所の区画が整えられており各自地対単位で部屋を割り当てられています、ただ物を置くスペースはあまり確保されておらず、生活再建に向けての考えを生みにくい環境です。

多賀城市での個別聴き取り訪問が行われる予定となっており、そのタイミングに合わせ物資調達の実施を災害対策本部と総合体育館とで調整をし隊と思います。
避難所から出て生活再建へ目を向けてもらえるようにと物資調達は行っていますが、多賀城市ではもう1箇所の避難所があり、そこでの調整も合わせて行います。

その後、本来の目的である在宅被災者への物資調達へと移っていくのですが、在宅被災者の被災度合いと、内情の把握には全世帯を訪問し聴き取り調査が必要となっていきます、方法はまだ決定していませんがいくつかの案があります。

一つ注意点としてはライフラインは通っておらず1階部分が被災しているお宅で生活している被災者をどう探していくかが課題でしょう。
これもボランティアが一軒一軒回って声をかけ留守のお宅でも回ってきたことが分かるよう貼紙などをしながら、ローラー作戦で地域ごとに回っていかなければならないでしょう。

このローラー作戦では自治体の区長や自治体の有志の方、大勢のボランティアが必要になってきます、ボランティアは100名から200名くらいは必要になります、そのボランティアを災害ボランティアセンターから派遣して貰うのかそれとも災害復興支援コーディネーターサークルで集めるのかは今後の調整しだいです。

また被害のひどい地域ではライフライン関係、郵政への要請を出し開通しているお宅、配達しているお宅をリストUPして貰い、リスト外の在宅者から訪問聞き取りを市からの要請のもとボランティアが行う事が手間は掛かるでしょうが一番かと思っています。

どちらにせよ今後の活動においてはボランティアの人数が必要になってきます、幸い大学が夏休みに入りますので遠方からボランティア活動してくださる有志の肩が被災地へ多く入ってこられると思いますのでそれまでに、仕組みと根回しは済ませておかなければなりませんね。

またボランティア活動を考えている有志者、上記活動を支援くださる支援者へ下記ブログにも今までの経緯等を見て貰い賛同できるようなら一度ご連絡お願いします。

賛同して貰えるようなら拡散を希望します。
よろしくお願いします、支援の輪が広がることを願っています。

被災地での問題になるであろう事案(独り言)

支援している団体のそれぞれの特性を活かした住み分けと、被災者の中での格差が出ていることが問題です。
時間が解決してくれるものだとは思うのだけど・・・

そんなに被害の無かった被災者と、全てを失った被災者とで行政の支援の在り方、被災度合いにあた支援はできていないというか把握できていない、また被災者の気持ちの持ち方が前向きな人と後ろ向きな人での生活再建の進み方

今はまだ物資は行き届いていませんが支援組織と後方支援組織、物資の調達から配布までの仕組みはほぼ出来上がっていますので、必要とするところへ必要な物が行き届くのはそこまで時間は掛かりません。

メンタルケアのが追いつかなくなるだろうと思う
メンタルケアに関してはそれよりも時間が掛かるでしょうし、メンタルケアが必要な本人でさえなかなか気付くことが出来ないでしょう。
早いうちに何かしら人の心に振れることが今後のためになると思うのでいい案が浮かんだら教えてください。

被災のひどい地域は夜の明かりは無い

地域によって違いはあるが避難所解消の後のコミュニティーつくりと就労支援も追いつくのはなかなか難しいだろうとも思う


遠方からのリアルに届く支援方法とは・・・
今はまだ必要な物を集めて送ることも出来るだろうけど
そんなに長くは物資は必要にはならないだろ

メンタルケアは遠距離で行うのは難しい点がでてくるし

被災地の産業を支援するにも物を買うことで支援にもなるけど一部にしか行き届かないし

就労支援も遠方だと困難
現場で活動する団体への支援も目に見えてどうなっているかは伝わりにくいだろうしね

もちょっとかんがえまーす

2011/06/01

災害復興支援組織会議の日程変更

今回会議を6月4日に行う予定でしたが各団体との調整が付かずに翌週での調整となり、参加組織の変更もあります。
各団体の連絡網の構築には企業、行政の協力も加わることになるのでインフラ整備には少し時間は掛かるのでしょうが一本化できそうです。