2011/06/13

3ヶ月を越え改めて考えること

6月11日を迎え避難所文化センターでは14:46に避難者、職員、ボランティアが集まり黙祷を皆で行いました、5月11日の黙祷のときとは違い今回は14:00よりイベントが入っていました。
避難所生活も3ヶ月を過ぎて避難所生活で出会い、談笑し合い笑顔が多く見られるようになって来ました。

今回のイベントはサックスの演奏でした。

演奏を一旦止め14:46に皆で1分間の黙祷を行ったのですがその後演奏が再開され観客の被災者はアーティスト避難所で、ひとときの音楽演奏を聞き入り拍手をしでこたえていました。
この時には少し違和感を感じたのですが、何に違和感を感じたのかさえ分かりませんでした。

6月12日に支援をくださっている団体からDVDが届きました、5月の連休を使い大阪より2tトラック一杯に玩具、お菓子などの支援物資を積めるだけ積んで避難所を回っていた団体です、その後も後方支援を受けていました。

DVDの内容は震災時のライブニュースから始まり被災地の状況、避難所の様子が克明にしるされていました、そこで黙祷の後で感じた違和感の正体がわかりました。

被災直後のようすは混乱と、喪失感、不安などが入り混じっており、辺りは瓦礫が山になって何から手をつけて良いか、何を考えどう行動してよいか分からない状態でした。

それが被災地で避難生活をしている方たちも多くの人が3月11日の記憶は昔の気をくとなっているように感じました、これは考えが前向きになっている証拠だと思いますし、復興に向けて必要だと思いますし、良いことだとは思うのですが、ここに違和感を感じたのも事実です。

人間よく出来たもので悪い記憶のほうが忘れるのは早いと聞いています、もちろん完全に忘れることは出来ないことだとは思っていますが、支援活動で入っている人や後方支援の方達には現地に入った当初、支援しようと考えた当初の気持ちも今一度思い返してみてえたらと思います。

私は今日DVDをみて改めて現地へ来た当初の気持ち、想いがよみがえってきましたし想いは変わらず『出来ることを少しずつ』という気持ちが、『やらなきゃいけない』『急がなきゃ』にかわっていたようです。

考え方は賛否両論でしょうが私は『出来ることを少しずつ』で継続的な活動を行っていくことを改めて考えさせられました。

被災地で避難所で寝泊りしているのに記憶が薄れ、行動が変わってしまうのに、TVでの露出も減り身近にいない人はどの位当時の想いがよみがえってくるのでしょうか?

前にもこのブログで言っているように、支援活動は始まったばかりです、継続的な支援は今後も必要となってきます、メディアでの露出も然り、政権がどうだこうだの前に、被災地に今より目を向けて貰いたい、継続的に記憶が風化してしまわぬように発信していきたいという思いも改めて感じた今日この頃でした。

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