多賀城の駅前で月の市というイベントが開催されています。
トータルで18日間、アーティストのライブまた飲食ブースによるビアガーデンなど地元の有志企業、団体が行っております。
復興フェーズの早い多賀城地区では地元飲食企業などが行政と連携をし自立再建、駅前の活性化を考え企画し開催となりました。
多賀城で今後毎年の恒例イベントに出来ればという事を実行委員会の方たちはおっしゃっていました。
9月3日までに多賀城に来られた際には寄ってみてください。
復興とは地元の方々が行っていく事は大前提ですが。l これからどうしたら良いのか、何から手をつけたらよいのか、生きていく為に日々の生活を考えなければならなかったりと被災した方々は頭を悩ましているのも事実です。 多くの時間が掛かることとなるでしょうが一日一日確実に復興へ向けて進んでいます。 被災者へ笑顔を、被災地の復興を支援することは 遠くに離れていても出来ることは沢山在るはずです。 一人で出来ることなどたかが知れています、その少しの支援が広がっていけば大きな物になると信じています。 多賀城市を中心に災害復興支援コーディネーター蓮笑として広域に渡りボランティア活動している個人、団体、行政と全国の善意とを繋ぐ役割が出来ればと活動中。
2011/07/30
物資管理センター
宮城復興支援センターさんの物資管理センターへ物資の引受に行きました。
物資のピックUPに10名が参加して、場所が狭いので物資リストを配りそのリストに載ってある物資を別の空きダンボールへ入れそこへこちらで管理してある物資番号を添付してトラックへと積んでいきます。
元館内ボランティア、元避難者さんの協力もあり希望物資調査でニーズのあった物資を多くピックUPすることが出来ました。
石巻の連携団体からの要請があるごはん、カップラーメンも2000食近く引き受けることが出来、受渡を待つだけとなりました。
現在も物資の必要な地域、事情の方も多くおられます。
もうしばらくは物資支援が必要です
その後メンタルケア、コミュニティー形成支援、復興状況報告の広報も長期復興支援を継続するうえで必要であると思います。
ビルの1F部分に200平米くらいの倉庫がありその中に所狭しと物資が積まれていました、この物資管理センターは名取や南三陸など県内のボランティア団体へと物資を提供しておりこの日も数団体が倉庫へ出たり入ったりと活発に物資が動いていました。
物資のピックUPに10名が参加して、場所が狭いので物資リストを配りそのリストに載ってある物資を別の空きダンボールへ入れそこへこちらで管理してある物資番号を添付してトラックへと積んでいきます。
元館内ボランティア、元避難者さんの協力もあり希望物資調査でニーズのあった物資を多くピックUPすることが出来ました。
石巻の連携団体からの要請があるごはん、カップラーメンも2000食近く引き受けることが出来、受渡を待つだけとなりました。
現在も物資の必要な地域、事情の方も多くおられます。
もうしばらくは物資支援が必要です
その後メンタルケア、コミュニティー形成支援、復興状況報告の広報も長期復興支援を継続するうえで必要であると思います。
この物資を受援者へ引渡し風景や受援者からのメッセージは活動報告としてブログへUPしておきます。
2011/07/28
久しぶりの更新になります。
現在までの活動と、これからの活動をまとめてみました。
希望物資調達は被災者へ生活再建を考えて貰う一つの手段として考えています。
今後は在宅受援者の実態調査とニーズ調査を行いマイノリティーな支援が必要な人に必要な支援をコーディネートしていきます。
物資調達の手順です。
支援の流れとなってます。
青少年健全育成を行ています。
現在は1か所の仮設住宅にて活動していますが、多賀城市内の小学生、中学生を対象に今後も活動しスポーツしゅおねんだんの加入を考えています。
地域コミュニティーの形成と、親子の触れ合う場になればと考えています
心身ともに成長を願いながら活動しています。
必要な場所へ必要な支援を適切な方法で届けることを考えて活動しています。
津波にのまれ動かなくなった自転車が動くようになったときの笑顔がとても嬉しそうでした。
最大余震の時に到着し奮闘しながらの活動でした、それまで洗濯は手洗いで行ってました。
震災の影響で授業の遅れもあり、避難していた子供たちは勉強するスペースはしばらくはありませんでした。
三重県から休日を使い活動しに来てくれました。
仮設住宅では体の不自由な方もおり髪を切ってすっきりした顔からは皆笑みがこぼれていました。
復興には長期的な支援は必要なものだとの認識から、被災地以外で復興状況の発信や受援者からのメッセージを発信していきます。
2011/07/17
2011/07/12
話をするむずかしさ
7月6日19:00多賀城市文化センターにて避難所集約化説明会が行われました。
内容は下記のとおりです。
1・・・【説明会の対象者】
文化センターへ避難している被災者の方々の内、プレハブ仮設住宅へ入居しない方々。
2・・・【説明の内容】
文化センター避難所を閉鎖し体育館避難所へ集約することについてです。
3・・・【避難所集約の目的】
①避難所環境の最適化
②避難所運営の効率化
③文化センター災害復旧工事(被害調査→設備→工事)の実施
4・・・集約化スケジュール
7月6日 説明会
~7月11日 総合体育館へ移動希望の申し出(事務室へ)
7月18日 体育館へ移動する方の体育館の場所・スペースのお知らせ
7月19日 自力移動可能な方から体育館への移動開始(移動するときは文化センター事務室に声をかけてください)
7月23日 トラック、バスによる一斉移動(荷物の積み下ろし、搬送は市が行いますので荷造り、荷ほどきは各自でお願いします。)
文化センター避難所の閉鎖
避難者への説明会は避難されている方の多くが参加されていました、日程の説明から始まり体育館への統合を理解してもらいたいと説明があり、その後に避難者への質問となりました。
避難者さんの多くはなぜ移らなければならないのか疑問にもたれている方が多くいらしゃいました、『今避難している文化センターのほうが空調も効いていて住みなれているから移りたくない』などの声や『これは決定なんですか』、『移ってすぐにまた引越しになったりするならここに引っ越せるようになるまでいてもいいだろ』などと質問と要望がありました。
それに対して市役所の職員はできる限りの要望を聞き市長と協議したうえで最終的なご案内をしますと避難者の声を聞き取り説明を行っていました。
この日は聞き取りと説明、そして多賀城市としての避難所集約の説明は終わりました、次回7月8日は市長に来館してもらい集約に対しての説明、今後の多賀城市の方向性を説明するとのこととなりました。
7月8日前回から引き続き総合体育館への避難所集約および復興計画の説明会が行われました。
市長のあいさつ挨拶があり、今後の多賀城市における、復興計画の流れと方向性、10年計画を考えて復興計画を作っており、防災対策として津波除けの植林を2重に作り、防災無線の設置個所を3倍以上設置することが決定しました。
歴史の都「多賀城」でもあり今回の震災を忘れないためにも今後の多賀城の発展も考え津波ミュージアムの建設を考えているそうです。
また今回の震災で被災された方々の今後の生活のため被災住宅の建設を考えているそうです。
一通り話がおわり質問タイムとなり被災者の方々から『そんな先の話じゃないんだ今、明日どうしたらよいのか』『一時金が下りたといっても箸から揃えたら、もうお金ないよ』『自宅で商売していた人たちはどうやって再建していけばいいの』など様々な声が上がってきていました。
内容はともかく私は思いました、行政と被災して避難所で生活をしている方々とでは話し合いたい部分が違うのだなと、『これから先の町造りや大きな方向性』と『今日明日という今どうにかしないといけない、そして先の生活への不安』
誰の意見も間違いではないし、大切なことだと感じましたが人対人の話としては成立していなかったように思います、被災している人も、これから復興に向けて政策を考えていく人も間違いなく人間です、政策を考える行政と自立再建を考える市民とそれぞれ考えることは違ってもよいと思います、ただ両者ともこのような場が持てるのですから相手の置かれている状況を加味してそして人対人の話であることを前提に、そして行政は今回被災している方は弱っている事をくみ取って行くことが必要なのではないかなと感じました。
内容は下記のとおりです。
1・・・【説明会の対象者】
文化センターへ避難している被災者の方々の内、プレハブ仮設住宅へ入居しない方々。
2・・・【説明の内容】
文化センター避難所を閉鎖し体育館避難所へ集約することについてです。
3・・・【避難所集約の目的】
①避難所環境の最適化
②避難所運営の効率化
③文化センター災害復旧工事(被害調査→設備→工事)の実施
4・・・集約化スケジュール
7月6日 説明会
~7月11日 総合体育館へ移動希望の申し出(事務室へ)
7月18日 体育館へ移動する方の体育館の場所・スペースのお知らせ
7月19日 自力移動可能な方から体育館への移動開始(移動するときは文化センター事務室に声をかけてください)
7月23日 トラック、バスによる一斉移動(荷物の積み下ろし、搬送は市が行いますので荷造り、荷ほどきは各自でお願いします。)
文化センター避難所の閉鎖
避難者への説明会は避難されている方の多くが参加されていました、日程の説明から始まり体育館への統合を理解してもらいたいと説明があり、その後に避難者への質問となりました。
避難者さんの多くはなぜ移らなければならないのか疑問にもたれている方が多くいらしゃいました、『今避難している文化センターのほうが空調も効いていて住みなれているから移りたくない』などの声や『これは決定なんですか』、『移ってすぐにまた引越しになったりするならここに引っ越せるようになるまでいてもいいだろ』などと質問と要望がありました。
それに対して市役所の職員はできる限りの要望を聞き市長と協議したうえで最終的なご案内をしますと避難者の声を聞き取り説明を行っていました。
この日は聞き取りと説明、そして多賀城市としての避難所集約の説明は終わりました、次回7月8日は市長に来館してもらい集約に対しての説明、今後の多賀城市の方向性を説明するとのこととなりました。
7月8日前回から引き続き総合体育館への避難所集約および復興計画の説明会が行われました。
市長のあいさつ挨拶があり、今後の多賀城市における、復興計画の流れと方向性、10年計画を考えて復興計画を作っており、防災対策として津波除けの植林を2重に作り、防災無線の設置個所を3倍以上設置することが決定しました。
歴史の都「多賀城」でもあり今回の震災を忘れないためにも今後の多賀城の発展も考え津波ミュージアムの建設を考えているそうです。
また今回の震災で被災された方々の今後の生活のため被災住宅の建設を考えているそうです。
一通り話がおわり質問タイムとなり被災者の方々から『そんな先の話じゃないんだ今、明日どうしたらよいのか』『一時金が下りたといっても箸から揃えたら、もうお金ないよ』『自宅で商売していた人たちはどうやって再建していけばいいの』など様々な声が上がってきていました。
内容はともかく私は思いました、行政と被災して避難所で生活をしている方々とでは話し合いたい部分が違うのだなと、『これから先の町造りや大きな方向性』と『今日明日という今どうにかしないといけない、そして先の生活への不安』
誰の意見も間違いではないし、大切なことだと感じましたが人対人の話としては成立していなかったように思います、被災している人も、これから復興に向けて政策を考えていく人も間違いなく人間です、政策を考える行政と自立再建を考える市民とそれぞれ考えることは違ってもよいと思います、ただ両者ともこのような場が持てるのですから相手の置かれている状況を加味してそして人対人の話であることを前提に、そして行政は今回被災している方は弱っている事をくみ取って行くことが必要なのではないかなと感じました。
2011/07/08
仮設住宅自治班発足
仮設住宅へ移られた避難者さんからひとつ私達に、こんな依頼がありました。
奥さんと近所の奥さんが立ち話をしている側を通りかかったときに呼び止められて、『あなた何とか市役所にいってきてよ』と仮設住宅へ入ってからの情報過疎や仮設住宅の設備に関しての愚痴がきっかけだったそうです。
わかった行ってくると次の日の市役所へ出向き情報過疎の件や設備の不具合などを伝えたのところ、個人でいらしてお話されても、動きようがないんです、まとまってもらえるとこちらも動きようがあるんですが・・・。
ということで仮設住宅のある地域の行政区の区長さんが仮設住宅へ見えられたときに、そちらの行政区の一班として入ることは出来ませんかねと尋ねたところ、私もそう思っていたんですが、市の方針が決まっておらず、行政区へ入れられないかもしれませんと言われたので、じゃあ自治を立ち上げようというところで私達へ相談にこられました。
自治を立ち上げるにしてもどのような段取りで立ち上げてよいかもわからないし、PCもないので書面を作ることも出来ないということだったので、私達で出来ることはお手伝いします、というところから自治班発足を手伝うこととなりました。
まずは発起人が5名おりその方たちと打ち合わせをし住民さんを集めて自治班とは何か、意見をまとめることの大切さや管理会社、行政、自治班の役割などを話合い参加住民全会一致で発足しましょうということとなり翌週に班長、役員の選出方法や役割の説明をすることを話し終了しました。
翌日に議事録を作成し配布を発起人たちへ渡し選出方法や役割の打ち合わせを持ちました。
第2回目自治班発足説明会を開き集まった世帯が54世帯中34世帯が集まり、選任方法を説明し役割の説明をおこなったところで、住民さんから意見が上がりました。
「せっかくここまで発起人の皆さんが進めてくれたことなので、皆さんで班長、役員をやってくれるのがうれしいんだけど」と一人の方が言いました、その場にいた住人さんは皆賛成をしていました、しかし2回とも参加されてないかたや立候補したい方がいらっしゃるといけないので後日の選任にしませんかと説明しましたが結局、発起人が班長、役員をということになり34世帯の参加住民の総意で決定しました。
その後、支援の申し出のあるボランティアの内容と、その支援を受け入れることのメリットを説明をして反対の意見がないようでしたのでコーディネートすることとなりました。
そして本日正式に市役所へ2回の自治班発足の説明資料、議事録、行政への質問書、支援団体の概要リストを持参し自治の発足となりました。
奥さんと近所の奥さんが立ち話をしている側を通りかかったときに呼び止められて、『あなた何とか市役所にいってきてよ』と仮設住宅へ入ってからの情報過疎や仮設住宅の設備に関しての愚痴がきっかけだったそうです。
わかった行ってくると次の日の市役所へ出向き情報過疎の件や設備の不具合などを伝えたのところ、個人でいらしてお話されても、動きようがないんです、まとまってもらえるとこちらも動きようがあるんですが・・・。
ということで仮設住宅のある地域の行政区の区長さんが仮設住宅へ見えられたときに、そちらの行政区の一班として入ることは出来ませんかねと尋ねたところ、私もそう思っていたんですが、市の方針が決まっておらず、行政区へ入れられないかもしれませんと言われたので、じゃあ自治を立ち上げようというところで私達へ相談にこられました。
自治を立ち上げるにしてもどのような段取りで立ち上げてよいかもわからないし、PCもないので書面を作ることも出来ないということだったので、私達で出来ることはお手伝いします、というところから自治班発足を手伝うこととなりました。
まずは発起人が5名おりその方たちと打ち合わせをし住民さんを集めて自治班とは何か、意見をまとめることの大切さや管理会社、行政、自治班の役割などを話合い参加住民全会一致で発足しましょうということとなり翌週に班長、役員の選出方法や役割の説明をすることを話し終了しました。
翌日に議事録を作成し配布を発起人たちへ渡し選出方法や役割の打ち合わせを持ちました。
第2回目自治班発足説明会を開き集まった世帯が54世帯中34世帯が集まり、選任方法を説明し役割の説明をおこなったところで、住民さんから意見が上がりました。
「せっかくここまで発起人の皆さんが進めてくれたことなので、皆さんで班長、役員をやってくれるのがうれしいんだけど」と一人の方が言いました、その場にいた住人さんは皆賛成をしていました、しかし2回とも参加されてないかたや立候補したい方がいらっしゃるといけないので後日の選任にしませんかと説明しましたが結局、発起人が班長、役員をということになり34世帯の参加住民の総意で決定しました。
その後、支援の申し出のあるボランティアの内容と、その支援を受け入れることのメリットを説明をして反対の意見がないようでしたのでコーディネートすることとなりました。
そして本日正式に市役所へ2回の自治班発足の説明資料、議事録、行政への質問書、支援団体の概要リストを持参し自治の発足となりました。
2011/07/03
多賀城市文化センター北口物資倉庫
中の様子はこのような感じです。
画像は少し見にくいです。
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