23:32
そろそろ寝付こうかというときに、地鳴りから始まり縦揺れの後30秒くらいの横揺れがありました。
地盤の固い頑丈な大きな建物(文化センター)に居たためたい関心度は4~5位の揺れを感じ、停電。
その後すぐに自家発電に切り替わり津波警報が発令されました。
避難所の方がザワザワと起きてこられホールや通路に出てこられ始め、広域避難所に指定されている文化センターへは近隣の避難者が来ることは予測されていました。
寝ることはできないだろうと思い取り合えずカップラーメンを食べることにしたのです、案の定食べ終わるころには避難者が来所され始めましたが、入所されている方々を自分の確保している場所へ戻ってもらい、入り口を空け避難者の受け入れを始めました
まずは職員、ボランティアで館内にある使っていないイスを集められるだけ集めホールや通路に置き避難者の誘導を始め、警備員2名に館内巡回、館内損傷の確認をしてもらいました。
この時点ではまだ責任者は到着しておらずボランティア11名、警備員2名、当直館内スタッフ1名で防災無線・館内巡回・避難者誘導を行っていました、その辺りで責任者が到着し状況報告と指揮権を渡し、停電のため水道が使えなくなることが予測され館内全てのトイレを使用禁止にし損傷のあった西口(三箇所の出入り口のうち一箇所)を封鎖またたくまに道路は渋滞、交通整備は県外からのボランティアや有志者による交通整備が始まりました。(信号は全て消えていました)
防災本部との連絡、自衛隊への燃料の要請、東北学院大学(工学部)のグラウンドを緊急避難所として開放の要請などバタバタしていました。
大体0:15位で混雑は収まり次は水の確保と自家発電の燃料の確認をした辺りで津波警報は解除されました。
その後避難者は自宅へ戻られる方が多く(避難者は300名~500名)そのまま宿泊される方には毛布を配り、帰りの車で混雑するので交通整備(警備員1名他有志者)が行われましたが残念なことに帰りの避難者の車に1名轢かれてしまい(懐中電灯等持っておらず)負傷し救急車要請。
近隣で火事も1件ありました。
3:00から自家発電器の燃料(灯油)を200Lドラム缶から18Lポリタンクへ移し490Lの燃料タンクへ補充を始めました(約180L)大体2時間半で燃料245L使ってしまうので再度5:30に補給するまでの間休憩し(仮眠)朝を迎えました。
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